月曜がうるさいよ
ネットの海を漂っていると、日曜日の夕方あたりから決まって観測される不穏な言葉がある。
「月曜が近いよ」
週明けの現実から逃れられないネットユーザーたちが、迫り来る絶望をユーモラスに、かつ自虐的に表現した名物ミームだ。 時計の針が進むたびに、背後にピタリと張り付くようなあの恐怖。 誰もが一度は身に覚えがあるだろう。
月曜がうるさいよ
— まきえたん☘️🥦 (@makietanX) September 15, 2024
しかし本質は「近い」ではなく「うるさい」なのだ。 この言葉の置き換えは、私たちが日曜の夜に抱えるストレスの本質を、驚くほど的確に射抜く。
「月曜が近いよ」という元のミームは、時間的な距離感(アプローチ)に焦点を当てている。 まだ日曜日であるにもかかわらず、容赦なく押し寄せる時間の不可逆性を嘆く言葉だ。
一方で、「月曜がうるさいよ」は、私たちの脳内ノイズに着目している。
日曜日が終わりに近づくにつれ、頭の中では以下のような「声」が一斉に騒ぎ始める。
「明日の朝一の会議の資料、あれで大丈夫だったか?」 「溜まっているメールにどう返信しようか」 「今週もまた満員電車に乗らなければならないのか」
これらは物理的な音ではない。しかし、私たちの頭の中で、目覚まし時計よりも遥かに大音量で鳴り響く「現実の雑音」である。 つまり、月曜日は単に「近づいてくる」だけではない。まだ来てもいない段階から、脳内でやたらと自己主張をしてきて「うるさい」のだ。
この「うるさい月曜」と健やかに付き合うためには、頭の中のボリュームを意図的に下げる工夫が必要になる。
月曜のタスクを日曜日の夜から心配し始めるのは、月曜日の苦痛を休日に「前払い」しているようなものだ。「考えるのは明日の朝、オフィスに着いてから」と心に決め、脳の電源を意識的にオフにする。
頭の中で雑音が響くのは、不安が形をなさずに渦巻いているからだ。明日やるべきことを一度裏紙やメモ帳にすべて書き出してしまう。視覚化することで、「脳内で叫んでいたタスクたち」を大人しく整列させることができる。
「月曜が近いよ」と怯える夜もあれば、「月曜がうるさいよ」と耳を塞ぎたくなる夜もある。
しかし、私たちが感じている憂鬱は、自分一人のものではないということだ。タイムラインの向こう側でも、多くの人が同じように頭の中の「騒音」と戦っている。
今夜は温かい飲み物でも淹れて、耳栓代わりに好きな音楽でも聴きながら、このうるさい季節の変わり目をやり過ごすことにしよう。