平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 | 東京大学

対象者

冒頭に記載されていますが、激烈な競争を勝ち抜いた 人たちへの言葉です。

決して、勉強をせずに幸せを勝ち取った人たちを対象にしていません。

激烈な競争を勝ち抜いた 人たちの承認欲求が満たされるためには社会がどうあればいいか」という問題提議です。

つまり、一部の激烈な競争を勝ち抜いた女性を対象にしたことを激烈な競争を勝ち抜いたという部分を取り除いて「女性」という抽象的な単語で表現したわけです。

成績がいいから東大に入学しなければならないことなんてない。

勉学を続けることに幸福を得られないのであれば、そこに突き進む必要はない。

雑にツッコむ

まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。

男子学生も浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める人はいる。

浪人したいかどうかのアンケートでもとればわかる話だが提示はない。

何の統計データを見て発言したのだろうか。

統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。

偏差値の正規分布に男女差 がならといって「男子学生以上に女子学生は優秀」という結論は導き出せない。

偏差値はある集団の得点のサンプリングをしたものである。

その母集団を分けて再度サンプリングして差異がなければどちらかが優秀であるという結論に至ることはできない。

単純に得点を比較して高いと言えばいいのに。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。

男女差なかったのに女子受験生のほうが高いの…?

男子東大生は弱い?東大生は正当に評価されていない?

東大入学式の祝辞から考える「誰が弱者なのか」ということ (1/2)

先日行われた東京大学入学式での上野千鶴子さんの祝辞がとても話題になっています。内容はもうすでにたくさんの人が読まれているかと思いますが、世の中には生まれ持った性別や環境を理由に頑張りが報われない人がいること、今後東大での学びを、また東大卒というある種の権力を、

逆に東大生はそうじゃない人たちを正当に評価できるのだろうか?

いや、できない。

人の価値観は個々によって異なる。

音楽が好きな人やそうじゃない人、絵画が好きな人やそうじゃない人、外国語が好きな人やそうじゃない人…。

それぞれに独自の価値観があるのだ。

  1. 商品を10個売り上げるFラン卒
  2. 商品を2個売り上げる東大卒

経営者の視点だと 1 のほうが優秀で価値があるという判断になるだろう。

これはいくら「東大です」と言っても同じ評価になるだろう。

むしろ、「東大です」を考慮せずに勝負することのほうが平等である。

東大生がイチローと同じ成果を挙げられるわけないのだから。

おわりに

「勉強ができるのにモテないのはおかしい」と小学生並の思考が前提になっているのだろうか?

一時のステータスが半永久的に続くと思っているほうがおかしい。

正直者はバカを見るのではなく、頑固者はバカを見るである。

臨機応変に変われ。