国民の祝日について - 内閣府

平成32年(2020年)以降、「体育の日」は「スポーツの日」になります。

意義

その意義は「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」とされました。

スポーツをして健康で活力ある社会づくりをすることが目的になるらしい。

それから、他者を尊重する精神を培う らしい。

この場合、徒競走や水泳といった個人競技は眼中になく、おそらく野球・サッカーが好きな連中で考えたのだろう。

視野が狭いね。

この場合、リスペクトをそれっぽく訳したんだろう。

自分との戦いが中心となるスポーツも多々あることを理解していないようだ。

ウサイン・ボルトがその辺をのろのろ走っているデブを見て尊敬するだろうか?

敬意を払うだろうか?

おそらくなんとも思わないだろう。

体育とは?

体育 - Wikipedia

スポーツなどの各種の運動を通じて、心身の健やかな成長をねらうと共に、自己の体のしくみなどを学び育むこと。

心身の健やかな成長 とは、その中に相手をリスペクトしたり、自分との戦いによる成長等も含まれる非常に大きな目標だ。

そして、自己の体のしくみなどを学び育むことは社会の実情には直結しません。

人には必ず限界があります。

スポーツをすれば健康で活力ある社会になるわけありません。

もうめちゃくちゃです。

健康で活力ある社会の実現を願ってしまうと、無理してでも実現することが正義となってしまう。

これは明らかにおかしいですね。

無理やりスポーツをして、必ず健康になって、活動を生み出すことが目標になってしまっている。

自己の体のしくみなどを学ぶことで本来なら老化による身体能力の低下に気づき、免許証の自主返納が増えます。

(が、誰も運動していないので減りません。)

しかし、健康で活力のある社会を実現するには、スポーツをして、老化による身体能力の低下なんてない!俺は元気だ!!という認識のもと社会へ影響を与える必要があります。

そうすると自己の体のしくみを理解して限界に到達しているとわかっていても、無理やり社会の実現のための犠牲になることになります。

本当にそんな社会が必要なのか?

おわりに

シンプルに改悪ですね。

日本語のわかる人に公務を任せたいなぁ。