ご飯茶碗はなぜ左側?和食の基本的な配膳方法をおさらい | 食・料理 | オリーブオイルをひとまわし

せっかく上手に作って盛り付けた料理も、配膳の方法を間違えてしまうと、マナーが守られていないと台無しになってしまうことがある。そんな事にならないためにも、和食の配膳方法をおさらいしてみよう。何気なく左側に置いているご飯茶碗の位置にも、隠された意味があった。

風習は宗教

日本には風習という名のお作法、もとい、宗教がある。 今回はその中でも意味不明なものを紹介しよう。 それは「ご飯茶碗は左側、味噌汁は右側」だ。 東京の店に行くとこうなっていることが多い。

関西だと味噌汁は左上だ。 左手でお茶碗を持つんだから当然左手で味噌汁のお椀も持つ。 利便性を優先した配置だ。

関西での解釈

「右手で箸を持っているのに右側に必ず器を持つ必要がある汁物を置くのは頭が悪い。」

「手があたって溢れる」

誰がどう考えてもまかり通る。 もちろん左利きの場合はご飯と味噌汁を右側に置くのがいいだろう。 今回は不毛な細かい部分の話はしていない。

東京での解釈

やはり正しい位置で配膳しないと気持ちが悪いという意見の方が多く見受けられる。

それでも茶碗・汁椀の位置を変えるのはマナー違反だとするのが正式なスタイルだ。

合理的理由はないようだ。 自分達の行っていることは正しいという理論なのだろう。

飛鳥時代に中国から日本に伝えられた「左上位」の思想が影響しているという説がある。

なら味噌汁を左上に置く関西人は味噌汁を敬っていることになる。

東京は味噌汁を蔑ろにしている。

頑なに曲げない東京

今回紹介したのはあくまでも基本とされる配膳方法であり、地域や会の趣向などの条件によって異なる場合がある。

もういいって正当な理由が見当たらず、最終的に中国から来た説に収束させるせこい論法でリンク先は終わっている。

宗教のよくないところは自分たちが絶対に正しいという勘違いをするところだ。

間違いは誰にでもある。むしろ間違うことのほうが多い。

かけ算の順序問題とかもそうで、無理やり正解をつくりたがるところが日本人にはあるんだろう。

だから自由がないと感じてしまうんだろうな日本人は。

配膳には人それぞれの考えがあるのだから縛り付けてしまうことに自由の放棄を感じてしまう。

はっきり言おう左上は便利だぞ。

それだけだ正解なんてないからな自由に右側に於けばいいんじゃないかなそれがいいと思う人達の間だけでやればいい。