はじめに

めんどくさいので雑に書く

グローバリゼーション

グローバリゼーションは個々の否定だ。

求められるのは多様性(Diversity)である。

必要なのはエスペラントではない。

バイリンガルである。

一人一人が変わらなければならないのは規格の単一化であり、

一人一人に合わせていくのが求められているのである。

つまり、ローカライゼーションの疎の集合体が求められているのである。

ローカライゼーション

一神教と多神教の問題があるらしい。

一神教の人は唯一神を多神教は受け入れないと主張し、多神教の人は他の神を一神教は受け入れないと主張する。

この場合、無理に受け入れさせる必要はない。

一神教を信じている人には他の髪がいると無理に関わらないことが尊重となる。 一方で、多神教を信じている人にも唯一神のみだと無理に関わらないことが尊重となる。

ようは関わらないことが最大の調和である。

グローバル化を多様性と同一視する深刻な誤解 – アゴラ

グローバル化を多様性と同一視する深刻な誤解 / 2018年11月25日のTBS『サンデーモーニング』の「風をよむ ゴーン容疑者とグローバル化」という特集で、司会の関口宏氏が「情報が進めば進むほどグローバル化していくことは仕方がないことかもしれないが、日本の良さが壊され

国際化は?

国際化もおかしい。

当事者ではない者からの同調圧力なのだから。

日本の国益を脅かすおっさんがいて、そいつの出身国が不当逮捕だと言い始める。

おそらく逆の立場で物事を考えていないのだろう。

自国の利益しか考えていない。

日本の法律に他国が介入することは非常に悪いことである。

そうではなく、「郷に入っては郷に従え」を行うことが求められている。

おかしなコメンテーター

「〇〇という国では△△をしているじゃないか。日本は遅れている。」

というトンチンカンなことを言うコメンテーターがいる。

そういうのに限って責められると「個人を尊重しろ」と言い始める。

狂っている。

関わらないことが一番だ。

おわりに

便利なものは広がる。

ただ、これはグローバリゼーションではない。

企業の努力による様々なローカライゼーションが実っただけである。

視野が広い人はローカライゼーション最適化になっている。

それはグローバリゼーションではない。